心・食・体

■食を節する(身土不二の原則)
食事は細胞に化学変化を起こす。それはすなわち、「食を節する」ことは、病気の予 防・回復において他の処方に比べ圧倒的に重要になる根拠となる。
「食を節するとは、その人が暮らしている土地で採れた天然のものを中心に、食べる 量をできるだけ少なくして必要最小限の栄養だけにとどめ、消化に関わるエネルギーや 酵素等の浪費を避け、食害や老廃物の発生を極力抑え、そのことによって、人類がかつ て野生の時にそうであったように、体内環境を自然本来の状態に保つ、あるいは戻すこ とを言う。そうしたしかるべき体内環境の下では、免疫や代謝酵素など、体に本来備わ っている修復機能が十全に保たれる。そのため、病気になることはない。あるいは、何 らかの原因で例え病気になったにしても、前述の強力な修復機能が働き、病気は即座に 治る」(無病法 p8 より引用)。

食欲を節することは、最初は苦しいかもしれない。が、それが心を成長させる修行だ と思えば、楽しくなる。論語(3-20)では「楽しみて淫せず。哀しみて傷(やぶ)らず。 (楽しみ過ぎてその正しきを失わない。哀しみ過ぎてその和を害しない)」と言い、貝 原益軒の「養生訓」でも、「楽の極まれるは悲のもとなり」「飲食十分に満足するは禍の もとなり」と言う。
節制とは、ケチでも貧乏でもなく己の選択であり習慣だ。断食後の素朴な食事の、あ の美味しく豊かなこと!本当に大切なものだからこそ、その一歩手前で抑えることで、かえって広がり、深まり、高まる世界がある。その美徳や恩恵は言い尽くせるものでは ない。私が反省しなければならないのだが、「我慢しないで欲求を満たすことが豊かで あり力である」と思うのは、大きな間違いではないだろうか。それは人間を縦従にして 節操を失わせていく。成長どころか堕落につながるのではないか。

さて、これから、ルイジ・コルナロが 83 歳、86 歳、91 歳、95 歳の時の講話(全 4 講)を引用しながら、「摂食」について情報を共有したいと思う。








■講話 1・・・
節食の重要性について(無病法 pp22~pp62 より引用・抜粋・要約) 不摂生は飽食へ繋がる。しかし、不摂生すなわち飽食はむしろ良いことのように思わ れているフシがある。反対に節制すなわち少食といえば、身分の低いものか、ケチな人 種の行為のようにみなされている。そうしたわけで、多くの人が飽食へと陥り、中年以 降様々な病気を抱えるようになり、廃人のようになっている者が少なくない
。 改善には、自然が命じている単純な食生活へと戻ること。つまり、生命を支えるのに 最小限の量で満足するよう、自らを習慣づけることが大切となる。飽食はいかなるもの でも病気の原因となり、死期を早める。

まず、自分の体質によく合った食べ物を見つける。経験から自分に合ったものだけを 摂るようにし、しかもそうした飲食物を胃が容易に消化できる量だけに限ることにした。 つまり、質だけでなく量にまで徹底して注意を向けた。それからは、満腹感を覚えるま で食べたり飲んだりすることはなく、常に食欲を少し残した状態で食卓を離れることに した。「健康は、食欲を抑えることから」という格言に従ったことになる。(腹六分目、 腹八分目)

食事以外にも幾つか気をつけてきたことがある。例えば、働きすぎ、異常な暑さ寒さ、 悪い空気のところに長時間いることなど、極端なことは避けてきた。(中庸) また、憂鬱(ゆううつ)、憎しみ、その他の否定的な感情を抱かないよう注意するこ とにも努力してきた。なぜなら、否定的感情は、心身に極めて由々しい影響を与えるか らである。
ちなみに、飲食の節制ができている者にとっては、その種の不快な情念が生じること はほとんどない。(精神的な困難も接触による心身の活力で克服)

節食という生活習慣を取り入れた者は、自分自身が自分の医者となる。言い換えると、 自分の体にとっては、自分以外には医者はありえない。人の体質はそれぞれ違っている ので、自分で何度も試行錯誤を経験することなくしては、自分の体質を見極めたり自分 に合った食べ物を選択したりすることなどできないからである。

医者が不要だと言っているのではない。通常、過食によって生じた病気を治すには、 医者の助けも必要である。しかし、健康な者がその健康を維持するだけなら、食を節し た規則的な生活習慣に優るものはない。

次のような疑問・反論があるかもしれない。つまり、節食でもし病気になった場合、 その時にはどんな食事療法が残されているか、と。この質問に対してはこう答えよう。 すなわち、そうした生活を送る者が病気に見舞われることはないと。なぜなら、節食の 生活では、病気の原因といったものが日々取り除かれているからである。要するに、原 因がなければ現象は生じない、という道理である。

原則・・・誰の場合でも、自分に合ったものだけを、しかもできるだけ少量、つまり、 胃が容易に消化できる量(この適量は人によって異なる)に限って食べるべきである。 この習慣の効果を上げるには、飲食とも適切な量の見極めと設定、そしてその後の厳守 が何よりも大切。それにより、非常に達者な老年の生活を享受できるようになること。

食における慎み(節制)は、自然の友であり、理性の賜物でもある。あらゆる美徳が これを基礎としている。それは私たちの人生観に積極性を与え、全ての営為に活力をも たらす源泉にほかならない。実に、宇宙の法則が摂食の習慣を支持している。まことに、 飲食をしかるべく慎む者は、鋭い五官、冴えた頭脳、丈夫な肉体、優れた記憶力、軽や かな挙動、これら全てに恵まれ、また精神的には本来の自由を存分に味わう境地に入る ことができる。心身両面において、充実と幸福が訪れるのである。

ルイジ・コルナロの極少食・・・一日総量で 350g の食べ物と 400cc の飲み物。これを 2 度に分けて摂る。一食あたり、食べもの約 170g(茶碗一杯)、ワイン 200cc(マグカッ プ一杯)ほどの量に過ぎない(自分の適量を、経験・観察・理性により見つける)。 そもそも病気の予防・治療の基本原理は、私たちの体内環境を、食を通して、原初の 自然な状態に保つこと、戻すことにある。古代からある格言を見ても良くわかる。釈迦 は「五体に患(うれ)いあらば、まず食を断つべし」と言い、ヒポクラテスは「病の時 の食は、病を養う」と言った。
食べ物の種類よりも、食べる量の方が大切。食べ物は、それぞれの土地や気候風土、 文明の度合いにより異なるが、摂取量は遺伝的に人類にとって適量という範囲があるか らである。その適量とは、最小限の食料で生き抜いてきた生物の歴史を反映していて、 ごく少量である。また、消化その他の身体の機能の低下に伴い、摂取量も少なくなって いく。従って、私たちの食生活もそうした自然の法則に応対したものが望ましい。

身体は生理学的要因が相互に関連し合って、体内環境を形成する。そうした体内の諸要因のいくつかについての現代の知見は以下。
「活性酸素」・・・体内で、エネルギーへの変換過程で必ず発生するもので、異物処理 に使われるという有用な範囲を超えると、周囲の組織や遺伝子を傷つける。過食の他、 ストレス、添加物や残留農薬が原因。食を節すると、これら悪影響を受けるのが最小限 にとどまり、呼吸もゆるやかになって、心も落ち着く。

「体内酵素」・・・消化や代謝等の体内の化学反応(約 5,000 種類)を司(つかさど) る体内酵素も、食を節することでその消費が格段に抑えられ、効率よく機能する。もと もと、体蛋白質は肉の蛋白質より野菜に含まれている粗蛋白質から作る方が、質的にも 効率的にも良い。しかも粗蛋白質はあらゆる野菜に含まれている。その上、体蛋白質の 合成に欠かせないビタミン、ミネラルも豊富に提供してくれる。従って、食べ物が豊富 な環境では、人間にとって肉は特に必要なものではなく、むしろ体内酵素の浪費。一生 の間に生産される体内酵素の量は限られている考え方もある(酵素寿命説)。

「腸内細菌叢(腸内フローラ)・・・腸内には約 3 万種、1,000 兆個、重量にして 1.5kg~2kg の細菌がいる(Wikipedia より)。ホルモン、ビタミン、酵素の産生、蛋白 質の合成、血圧や血糖の調節、コレステロール代謝、免疫力の 70%産生等、様々な生 命維持のための働きを担っている。食べ物から得られる実際の栄養効果を左右している のも腸内細菌叢。これが悪化した状態では、食べ物の栄養価は無に帰してしまい、栄養 豊富な食事をしても、効果は薄い。
地球上における単細胞の発生から約 40 億年、人類の食糧事情が一変した時期を 100 年前としても、生物の歴史を 24 時間に例えると、それは 1 秒にも満たない。そのため、 現代の食環境の激変に対しては、進化という観点から見ても、人体はそれに適応のしよ うがない。できるだけ自然な粗食で、しかも少食が良いという理由のひとつである。

「消化」・・・消化には膨大なエネルギーが必要である。消化は内臓にとって大きなス トレスである。そのため内臓の休息に必要な睡眠時間は、食べる量と回数に比例する。 消化に伴う副交感神経の働きにより、食後は緊張が解け、リラックスした状態になるが、 過食が一般的な状況では、一方で内蔵を疲弊させている。消化と代謝(修復)は反対の 関係に有り、一方が休んだ時にもう一方が働き出す。だから、空腹時は血液が身体を修 復していると思えば良い。

「血液性状」・・・PH7.3~7.35 の弱アルカリの状態が正常と言われる。これが砂糖、 肉、卵、油脂、白米その他の精白製品により 7.30 以下の酸性化した状態に傾くと、身 体はアルカリに戻そうとして骨からカルシウムを奪う。いわゆる脱灰(だっかい)作用 により骨を脆くする。牛乳でもこの弊害を招く。牛乳には母乳の 6 倍のリンが含まれていて、人体内のカルシウム対リンのバランス(1:1)を崩すので、それを補正しようと して脱灰作用を来すからである。その証拠に、骨粗鬆症(こつそそしょうしょう)は世 界四大酪農国(アメリカ、スウェーデン、デンマーク、フィンランド)に多い。 健康な血液の粘性は水の 4.5 倍。量は体重の 8%(体重 60kg の人なら約 5l)。この血 液が、身体中に約 400 億本張り巡らされている、直径 10 ミクロン前後の毛細血管の隅々 まで行き渡り、約 22 秒で全身を一往復する。しかし、参加して粘度を増した血液は末 端まで行き渡らず、血液の供給を欠いた組織は機能低下を招く。食の節制は健康な血液 の維持にもつながる。我々の身体の全細胞が血液の循環により養われていることを考え れば、その性状を正常に保つことの大切さがわかる。

「長寿遺伝子(サーチュイン)」・・・長寿遺伝子は他の遺伝子を活性酸素や紫外線など の害から守る働きをする。この遺伝子の活性化には、カロリー制限(節食・断食)、抗 酸化食(穀菜食)、運動(日常での十分な動き)、睡眠(2200〜0200)である。

「カロリー制限の効用」・・・38 匹ずつのアカゲザルの実験観察。飽食より 30%カロリ ー制限をさせると、20 年後の生存率は 1.6 倍、病死は飽食組の 1/3。腹六分目、八分目。

食を十分に摂るのではなく、十分に節することが健康にとって必須。








■講話 2・・・
虚弱体質の改善方法について(無病法 pp63~pp96 より引用・抜粋・要 約)
中年以降、年齢を重ねるとともに食事の量は減らしていく。老人の一日には、卵一個 の黄身と少しのパン、それにスプーン数杯のミルクで十分である。それ以上になると、 病気や苦痛が生じ、天寿を損ないかねない。元気で長生きすること、このことは誰もが 願うことであり、またそうあるべきである。そしてそのためには、それ相応の努力をす べきである。しかしながら、他にいかなる努力をもってしても、飲食を節することがな ければ、健康・長寿は決して得られるものではない。結論として、健康・長寿の方法と しては、飲食を最小限にして規則正しく生きる以外にはない、ということが言えるだろ う。他の動物と違って、理性を持つ我々人間は、この理性に基づいて自らの行動をしか るべく律するべきではないだろうか。

私が言う節食とは、質と量の二つの要素から成っている。質においては、自分の胃に 合わない食べ物や飲み物はこれを避けること。また、量においては、容易に消化できる 範囲に限って飲食することである。そして人は誰でも、40 歳にもなれば(デカルトは 30 歳過ぎたら医者はいらないと言う)こうした自分の体に関する適切さの判断が十分 にできるようでなければならない・・・運動を通じて自分の体と対話できるようになる。食を節するようになると、各体液は純粋になって調和を得る。そのため、いかなる外 的環境に直面しても、もはやこれによって冒(おか)されることがなくなる。これに対 して、飲食の慎みを欠いている場合は、外的環境が変わると、病を得たり、あるいは死 に見舞われたりする。

食事の回数を一日一回に限ってはいるものの、その一度の食事では満腹になるまで食 べる者たちがいる。これも消化という点からすると適切ではない。一度に大量の飲食物 を摂ると、胃はこれを消化できないので、悪気を生じ、血液を濁す結果となる。それゆ え、彼らの寿命も長くはない。

これがもし若者の場合なら、必ずしも理解できないことではない。若い時は官能の力 が強く、いつもそれに衝(つ)き動かされているからである。また、人生の経験も浅い。 子供・若者は、中年以降の者に比べて食事量は多く。 これに対し、少なくとも 30 歳に達したものは、何より理性が優っていてしかるべき である。であれば、飽食が健康を損ない、早死にの原因になることは十分わかっていな ければならない。
飽食が病気の原因であることは明白であり、そしてその疾病の長さに比べれば、食を 縦従に楽しめる期間は実に短いと言わざるを得ない。反対に、自分の健やかさが自分の 食習慣によるものであるということを食事の度毎に確認できることは、節食を実行して いる者にとって大きな喜びである。

ルイジ・コルナロの場合、極少食とそれに伴う十分な咀嚼(一口 120 回)で健康を 養っていった。
基本的な良い食べ物とは、自分が住んでいる土地でとれる穀物や野菜を中心とした食 事、すなわち「身土不二(しんどふに)の原則」に従った「穀菜食」である。
歴史的に見ても、猿人まで遡るとその歴史約 400 万年のうち、農耕が始まったのが 約 1 万年前。残りの 399 万年は狩猟・採集時代であったが、特殊な地域を除いては、 採集(野草や木の実や果物)が主で、狩猟(肉や魚)はこれを補う形であった。相対的 に採集の方が食料源として安定していたし、調達も容易だったからである。人間には肉 食動物が持つ蛋白質分解酵素が欠けていることや、歯の構成が野獣のそれとは違ってい ることにも注目。遺伝子構成の 98.7%までが人間と同じチンパンジーやゴリラの食性は、 95%までが果物や木の実や芋などの植物性で、残りの 5%が昆虫など。動物も魚も食べ ない。人間もこのような霊長類の遺伝子を持っている。穀菜食が人体にとってもっとも 自然な食べ物。これが基本。

その上で、よき食生活とは、
(植物性食品)
・未精白穀物・・・玄米、麦、とうもろこし、蕎麦(そば)、全粒パン等 約50%
・野菜、海藻類、果物、木の実、発酵食品(納豆、味噌、漬物等) 約 40% (動物性食品)
・魚介類・・・小魚、エビ、貝類などの全体食(大型海洋魚の切り身や缶詰は除く) 10% 未満

※普段の食生活ではできるだけ避けるもの→自分が食べたいものは、体の負担になら ない頻度(月 1 回程度)で食の多様性を享受する。
・肉類・・・獣肉、鶏肉、ハム、ソーセージ、ベーコン等
・砂糖、卵、牛乳、油、ヨーグルト、チーズ、クリーム、バター、マーガリン、精製 塩、化学調味料、これらを材料とした菓子類、油脂や添加物や塩分の多い食品、アルコ ール類、甘味料入り飲料水等

自然食を提唱している各団体の食事の指針の中には、肉類や乳製品を常食として一定 の割合で認めているものもあるが、それは広く一般的に現代の食事情を斟酌してのこと であり、「穀菜食」が理想であることに変わりはない。
特に、普段の食生活では避けるものとしている食品については、その多くが人間の叡 智の初産であり、食生活に豊かな彩りを添えるものであるとしても、現代の摂取量はあ まりに過剰すぎて健康の役に立ってはいない。この 60 年間だけでも、日本の肉の消費 量は 15 倍、卵は 12 倍、牛乳・乳製品は 25 倍にも増えている。これは人間の自然の摂 取レベルをはるかに超えたレベルである。

現代の生活習慣病の多くは、動物性蛋白質の過剰な摂取から生じる。蛋白質総量が 10%増えると、発がん率が 10 倍高くなる。動物性蛋白質は植物性蛋白質より 8 倍も発 がん性が高い。蛋白質は玄米に 7%、小麦には 11%、トウモロコシには 9%含まれている。
蛋白質の摂取量を食事全体の 10%以下にすると、免疫力が上がり病気予防になる。

砂糖の摂取はより深刻。砂糖が胃に入ると、(角砂糖 1/4~1/5 の量で)胃の働きは止 まる(糖反射)。胃液などにより約 5.4%の当張掖にまで薄められるまで続く。そのため ケーキなど砂糖が大量に胃に入ると、胃の働きは 1 時間以上も止まることもある。
また、砂糖は血中のカルシウム、マグネシウムなどの正常なミネラルバランスを崩し て血液を酸性化し、体内環境を病気の温床と化す。
砂糖は冷え性の原因、免疫機能を下げる。量に限りがあるとされる体内酵素を大量に 消費してしまう。唾液の分泌が少なくなる。虫歯を招く。結論を言うと「砂糖は毒」。
次は油。祖先は穀物や木の実、時には魚や野鳥や野獣の肉など、ずっと全体食の中で 摂ってきた。油は空気に触れると酸化されやすい性質も加わり、本来なら必要ないエネ ルギーや貴重な酵素がその消化のために大量に消費されている。さらに、大量の脂肪分 は満腹中枢への伝達機能を阻害する。この影響は 3 日ほど続く。従って、一度脂肪分の 多い食事をすると、途中で脂肪分を絶たない限り、長期間に渡って過食することになり かねない。この作用を強く起こすのが「牛肉、牛乳、バター、チーズ等」に多く含まれ るパルミチン酸と呼ばれる脂肪酸。
なにより注意が必要なのがトランス脂肪酸という自然界にはない人工の脂肪酸を含 んだ製品。その代表がマーガリン、サラダ油などの精製油。これらは、各種のパン、フ ライ、ケーキ、クッキー、アイスクリーム、チョコレート、レトルト食品に含まれる。
トランス脂肪酸は、本来なら有害物質を遮断するはずの細胞膜を浸透して、組織に炎 症を引き起こす。人体はこれを代謝できない。そのために様々な病気に関わる。ちなみ にマーガリンは、このトランス脂肪酸を多く含んだ精製油を材料に、水素を添加して、 常温では液体であるはずの植物油を固形化したもの。そのため「食べるプラスチック」 とも呼ばれる。
脂質(油分)は、人間の体を構成している 60 兆個の細胞膜の重要な成分である。に もかかわらず、人類は少ない自然の食料だけでその健全さを維持してきた。そして不足 する場合には体自身が体内で合成してそれを補ってきた。

さらに深刻な問題は、これら複数の食品を同時に摂ったときに生じる複合的な悪影響 である。現代のほとんどの料理で見られるような砂糖や油脂類を、動物性蛋白質と同時 に摂ると、これらが化学的に結びついて「AGE(終末糖化産物)」や「ALE(脂質過酸 化最終産物)」という老化促進物質が大量に生じる。これらはあらゆる組織を侵す。AGE や ALE は心臓病、腎臓病、脳動脈硬化症、喘息、関節炎、心筋梗塞、神経障害、アル ツハイマー病、糖尿病、白内障・・・ありとあらゆる病気に関わっている。どの病気に罹 るかは、それぞれの体質による。これはつまり、病気の種類に関係なく、食事を正せば、 これらが治ることを意味している。

普段は避けるべき食品のうち、自分にとっては美味なものについては、たまに賞味す るにとどめる。例えば肉は月に 1~2 回など。そして健康を維持しながら、同時に現代 の豊富な食環境の良さを安全に享受するが望ましいのではないか。
このように食を節するようになると、毎日飽食している人たちより、かえって自分の 食生活に満足感と感謝の念とが湧く。
自分の健やかさが自分の食習慣によるものであるということを食事の度に確認でき ることは、節食を実行している者にとっての大きな喜びである。








■講話 3・・・
幸福な老後の獲得について(無病法 pp97~pp113 より引用・抜粋・要 約)
人は中年になれば、肉体の欲求に支配されていたそれまでの生活から、理性に基づく 生活へと切り替えていかなければなりません。成長するにつれて量を増やしてきた飲食 を、今度は反対に減らしていく必要があります。もともと、食欲の赴くままに食べたい だけ食べ、飲みたいだけ飲んで、なおかつ健康を保つというようなことは、自然の性質 上、不可能なことです。従って私たちは、そうした飽食をつとめて避けなければなりま せん。

食事の量については、ひとりひとりがそれぞれの体質に応じて決定すべきものでしょ う。どれくらいがもっとも適切な量であるかは、食欲や願望からではなく、自分の経験 と観察、それに理性に基づいて各自が判断すべきことです。そして、しかるべく決定し てからは、それを厳格に守り通さなくてはなりません。(自分との対話、自分との約束)
なぜなら、その後時々度を超すようであれば、節食の効果というものは、ほとんど上 がらないからです。

職業であれ趣味であれ、長く座り続けたままの生活は、やがて健康を損なう。他の多 くの動物と同様、人類は朝起きると一日中食べ物を探して歩き回っていた。この生態学 的パターンは、男女の別なく、人体の構造すべてに刻印されている。つまり、身体が休 んでいる時に働く組織があり、動いている時に働く組織がある。

そのため、身体をよく動かさないと、例えば血の巡りが悪くなり、代謝産物の排泄に 支障をきたす。老廃物の回収や免疫機能の一部を担っているリンパ液がほとんど流れな くなってしまう。白血球の数も減るので免疫機能が低下する。赤血球の数も減り、酸素 の供給能力も低下する。動脈は弾力性を無くし、骨も筋肉も、動き不足により質量とも に損なわれる。筋肉は体熱の最大の発生源であるが、この機能も低下し、免疫力を損な う。
自律神経は、昼間動いている時には交感神経が優位となり、夜眠っている時には副交 感神経が優位となって、それぞれの支配下にあるホルモン系や免疫系の働きを促したり 抑えたりしているが、動くべき時に動かないことで、身体全体の機能の総司令部である 自律神経に狂いが生じる。その結果、様々な疾患が生じる。
逆に、よく身体を動かすと、前述した数々の弊害を免れる。夜は熟睡し、小食である 限り、目覚めとともに充実した体感で新しい一日を迎えることができる。そのため、常 に明るい気分に満たされる。またある程度の年齢になると、健やかな生に対する感謝の 念が湧く。

夕食後少しも動かず、そのまま寝ることは身体に非常に悪い。肉体労働でも使う筋肉 に偏りがあるので、消化を助けることのほかに、そうした偏りを日々解消するためにも、 夕食後は散歩などで少し身体を動かすことが必須である。夕食後の散歩には、内臓によ る本来の消化・排泄機能が促進されるので、副次的な排泄器官である頭髪や皮膚からの 有害物の除去が少なくなる。そのため、抜け毛が少なくなり、目の下のクマやたるみ、 顔のシミなどが歩かない人に比べてずっと出にくくなる効果もある。
歩いている時に出てくる考えは、特に高尚なものだけを意味するのではなく、日常の 悩みや心配事に関する解決策、アイディアなどの実際的な効用も有している。
日々、よく歩くこと、動くことは、通常思われている以上に、健やかな晩年を迎える ためには、節食に次ぐ不可欠な習慣となる。








■講話 4・・・
節食のすすめ(無病法 pp114~pp135 より引用・抜粋・要約)
人は老いるにつれ、自然の力やエネルギーを失っていくのだから、それにともない飲 食の量を減らすべきなのだ。もし仮に、栄養の摂取量を増やすことが正しいとするなら、 大半の人が高齢に達し、しかも非常に健康であるといった状況が生まれているはずであ る。だが、現実にはそうした例は極めて珍しい。
しかし、意志の弱さから、あるいは食べたい一心から、それまでの流儀を続けている 人たちがいる。彼らがもし適当な時期に厳格な食生活の習慣を身につけたなら、老年に なって病みがちになるようなことはなく、強壮快活で、場合によっては 100 歳、120 歳くらいまで生きることができるだろう。

高齢まで生きることを確実視できるということには、大きな利点がある。そしてそれ は、極めて妥当な判断に基づいている。つまり、食において非常に節度のある規則的な 生活には病気が生じる余地はなく、従って、天寿に至らずして死ぬことはない。繰り返 すが、病死などありえない。なぜなら、そうした厳格な養生によって、病気の原因とな るものが日々取り除かれているからである。健康・不健康は、血液の状態と体液の質と に関係している。それゆえ、食欲ではなく理性に従い、飲食を慎み、自然が本当に必要 とする量だけに限るなら、いかなる病気の原因も生じない。すなわち、身体が調和のと れた状態となる。
もちろん、人はどんなに養生に努めても、最後には必ず死を迎える。私(ルイジ・コ ルナロ)が言いたいのは、病気や苦痛を伴うことなく他界できるということである。死 に恐怖を覚えることなど全くない。

食欲旺盛な健常者に対して、節食というのは容易なことではない。が、節食に取り組 むことで体質が次第に変化して、健康的な食事を好むようになり、量的にも以前より節 食に慣れてくる。たとえ時々の努力であっても、それによって体に根ざした力は意外に大きい。この努力の過程で、いくつかの教訓が得られるようになる。
1. 自然で健康な食べ物であっても、自分の体質には好ましくないものがあることも 知るようになる。自分自身が自分の医者となる。
2. 健康情報に対する関心が高まり、基本的なことでさえ正反対の意見があり、マス コミから流れる情報の多くがスポンサー企業への配慮から内容に偏りがあり、ひいては 誤った常識の一因となっていること等も知るようになる。

節食は活力を生む。志を堅固なものにする。頭脳も冴える。そのため、困難に直面し たとき、それを乗り切る大きな力にもなる。
すでに重い生活習慣病に陥っている人たちには、今まで紹介させてもらった自然食を 内容とする極少食をお薦めしたい。最小量の食事を一口 120 回咀嚼する。食事回数は 一日二回まで(朝食不要)。回復期間や体調の変化は、病状により異なる。細胞こそが 決定する。蓄積された老廃物や薬毒などの排泄により、一時的に異常な症状が現れるこ ともあるが、それはその人自身の調整過程である。自分ひとりの判断で不安な場合、自 然食の知識を持つ医師や食事療法を取り入れている病院を訪ねてみると良い。漢方にも 「四百四種病は宿食を根源となす」とある。食事内容が一般の食事とそれほど変わらな いなら、身体の排泄作用と日々蓄積される食害とが拮抗してなかなか改善しない。やが て身体の方が消耗して病状悪化へと向かうことも多い。国の予算に占める医療費の割合 が拡大の一途を辿っている所以でもある








■敗戦後の貧しさの中で育ち、日本を牽引してきた人たちも、次世代以降の私たちも、 お腹がすいている状態を貧しさの象徴とみなし、腹一杯食べられることを豊かさの象徴 として、腹一杯食べられることが良いことだと信じてきた面があるのではないか。1977 年、史上最大規模の「食事と健康に関する調査」と謳われた「マクガバン・レポート」 や「チャイナ・スタディ」で、今まで理想的な食事と考えられてきた動物性蛋白質中心 の高カロリー食が全くの誤りであったことを明らかにしたにもかかわらず、どの国にお いても食事情の流れは変わらない。それどころか、生産量の大幅な低減を恐れた食品業 界や農業団体、医療・薬品業界などから猛反発の声が上がり、マスコミもスポンサーへ の配慮から沈黙した。そうした事情から、日本も含め、どの先進国でもこれらの報告書 の内容が知識として一般的に広まらなかった。ちなみに「マクガバン・レポート」が理 想的な食事として推奨したのは、日本の伝統食を少量にした食事であった。
つまり、現代の私たちは、基本的な部分で各自が自分の食生活に対して、食欲に流さ れることなく、真剣に注意しなければ健康を維持できないほどになった社会に生きてい る。それを心に明記しておくことが必要である。致命的な食習慣に陥らないようにした い。








■食を厳格に節することが心身両面の健康には欠かせないということの認識を、改めて 持つ必要があるのではないだろうか。食生活がしかるべく正されると、全細胞が本来の 姿を取り戻す。そして天寿である最後の最後まで十全に機能する。従って、コルナロが 言うように「病死などありえない」。彼も昼寝の後再び目を開けなかっただけのことで ある。多くの人が病床に伏して何らかの苦痛を味わいながら生を終えている現実を思え ば、安らかな自然死以上に幸福な人生の幕引きはないだろう。

以上のように、極少食、節食という習慣こそは、様々な困難に満ちている人生を、常 に活力に溢れ、快活さを失わず、前向きに生き、そして最後には安らかに生を全うでき るもっとも確実な手段の一つであろう。

※参考文献「無病法 極少食の威力」ルイジ・コルナロ著 中倉玄喜 編訳・解説 PHP 研究所

科学は修正を繰り返しながら発展していく。それに対して食の原理は常に一つ。それ は「身土不二(その土地で採れたもの)の原則」に基づいた自然のものを必要最小限に 食べる」ということのみ。この原則は生命(人生)に関わる。努めて食を節し、身体を よく動かすこと。








■(参考)
・自分に合ったもの・・・身土不二の原則、自分の体質(理性・経験・観察)
・胃が容易に消化できる量・・・食欲に流されてはいけない。腹一杯食べるのは幼稚。
・その後の厳守・・・3 ヶ月は、手帳、・チェック表等利用する(目標管理シート)
・節食はあらゆる美徳の根源・・・活力・意思の堅固・感激の心を生み出す

※推薦図書・・・20 冊(後ほど)












 

◉少食の効能

・アルコール…少量でも、低アルコールでも満足できる。しかも、酒に強くなってる。
・食べ物…味覚が鋭くなる
・少量で満足は効率的、経済的
・五感が鋭くなる。
・声が出しやすくなる。
・より疲れなくなる。
・身体が欲しているものがわかってくる。
・身体が食後でも軽い。
・思考スピードが上がる。
・体形、姿勢が整う。
・不平不満が少なくなる。
・食事、飲み会、睡眠時間が短くできる→他の事に時間が使える。
・機会を考える(一期一会)。

※食…1日2食50年で36,500食。1日1食なら18,250食。週1回で普段の食事以外に新しいもの食べるなら、50年で2,600種類食べられる。
※本…1週間に1冊読むなら、1年で52冊。50年で2,600冊。 ※人…毎日1人新しい人と知り合うなら、1年で365人。50年で18,250人。世界人口は7,200,000,000(72億人)もいるのに。
※技術(1万時間)…1日10時間取組んで1,000日(約2.7年)。1日5時間で2,000日(5.4年)。1日3時間で3,333日(9.1年)。

→少食、つまり、節制・克己心こそが活力の源となる。
克己心を支えるものが、喜心・感謝・陰徳。克己心は活力を生み出し、活力は志(野望)と負けじ魂を生み出し、努力・根気・根性を養う。

※発明王のエジソンは、蓄音機発明の時、9昼夜222時間の不眠不休で実験を繰り返したと言う。彼は「99%の努力と1%の閃き」という言葉を遺してくれている。 「頭脳は誰でも同じ。考えれば誰にでもできる」。「人は食べるから寝る。食べなければ寝ない。寝なければ考える時間は生み出せる」と言ってる。

 



 

◉食

<栄養学>
・エネルギー源となるカロリー栄養素(炭水化物・脂質・タンパク質)…食物を焼いて、ある一定量の水の温度を1°C上げる時の熱量を1kcalと規定。
・生理機能を調節する微量栄養素(ビタミン・ミネラル)
・食品中の栄養素の研究(食品管理栄養学・食品分析栄養学)
・生体内での栄養素の働きの研究(臨床栄養学・生理栄養学)
・栄養素以外の要因の研究(腸内細菌)

<陰陽論>(東洋思想)
個々の栄養素ではなく、食べると身体が温まる(陽性)食べ物、冷える(陰性)食べ物、どちらでもない(中庸)食べ物というように、食物の持つ陰陽中のバランスを考えながら食べて、健康を維持・促進しようというもの。医食同源。

※現代の先進諸国においては、食べ物不足で病気になるというより、食べ過ぎや生活習慣が病気の要因と言われる。
陰陽論をベースに、
→食べる量は少な目に(腹3分目〜7分目…胃が容易に消化できる量)。
→身土不二の原則(生活している土地で採れる旬の穀菜類を中心にして、身体に合うものを食べる)。
→一物全体(食物はその一部を食べるのではなく、できるだけ全部食べる)。
→陰陽調和。食べ物を陰陽中に分け、季節や体調とのバランスを考えて食べる。
→食べ物の種類(歯の形状…穀類5、野菜2、肉1)。

・陰陽論とは?
→万物、森羅万象は、相対し相応じる「陰・陽」二つの気の相互作用によって、生成・発展・変化しているとする考え方。

・陰陽中とは?
→「陰」とは、統一・潜蔵・調和であり、「陽」とは、発現・発展・分化。これら相対し相応じる陰と陽を、まとめながら一段上に発展させたものが「中」。

・旬の食材は?(自然の知識)
→春
野菜:キャベツ、春菊、ニラ、ソラマメ、玉ねぎ
野草:セリ、ミツバ、ヨナメ、ツクシ、カンゾウ、ヨモギ、アザミ、フキノトウ、コゴミ、ノビル、フキ、アサツキ、タンポポ、ハコベ、雪の下、ハハコグサ、オオバコ
果物:夏みかん、イチゴ、サクランボ
魚介:アナゴ、ヒラメ、

・陰性、陽性、中庸の食べ物は?(知識)

・免疫を上げる食べ方とは?(克己、節制)
→節食、少食

・体調とのバランスをとる食べ方は?(養生の知識)
→陰なら陽、陽なら陰